散るろぐ

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暴力教師の思い出


僕の母はよく寝る人でした。

僕が小さいころ、夜の商売をしていた母は、昼間は2階で寝ていました。父は日雇いに行っていました。

帰ってきて「ただいま」と言っても、誰も返事をしません。僕の声は虚ろに響くだけでした。

 

2階に上がり、母の部屋の戸をそっと開けると、僕は母にちいさく「ただいま」を言いました。

 

「ただいま」

「・・・」

「おきてる?」

「・・・」

女性教師

小学校2年生の1学期末のことです。

 

明日からはじまる夏休みに、みんなワクワクして、教室はにぎやかな雰囲気に包まれていました。ぼくもはしゃいで、女の子のスカートをめくっていた記憶があります。

 

ふいに、教室の戸が開きました。立て付けのわるいその引き戸は、開けるたびにガラガラと、壊れかけの手押し車のように耳ざわりな音がしました。

 

「静かにしなさい!」

 

ある種の狂気を思わせる鋭い声が、教室に響きました。

 
「今から名前を呼ばれた人は前に出なさい!」


担任の女性教師は、5〜6人の名前を呼び、そのなかには、ぼくの名前も含まれていました。


「どうするの?」

「叩くの?」

「まえにいくの?」

「手はパー?それともグー?」

 

僕の心は大きく揺れていました。

 

女性教師は「早くしなさい!」と、叫び、僕たちは一列に並ばされました。それはまるで、横に並べばすべて解決といったふうに、立つ位置を細かく指示されました。黒板を背にして並んだ先頭に僕はいました。





その女性教師は、まっさきにぼくを平手で打ちました。しかし、そのこぶしは空を切ります。僕が半歩しりぞいたからです。叩かれると痛い。それがぼくが学校で学んだ、たったひとつのことでした。





うちの両親は、とてもダメな親でしたが、子供を叩くことはしませんでした。よく感情的になって怒っていましたが、子供に手を上げることは、なかったのです。




身の危険がせまったら避ける。学校にきて叩かれる痛みをはじめて知った僕は、それを学びました。ところが、僕より頭の良い子たちは、なぜかよけることをしないのです。ふしぎでした。





ひとしきり、ぼくを睨んだ女性教師は、叩くのをあきらめ、ぼくの横に並んでいた同級生に、つぎつぎと平手打ちを浴びせていきました。

 

振り返り

今思えば、あの女性教師は、何かでイライラしていたか、夏休み前で浮かれている生徒たちに、活を入れたかったのかもしれません。理由は、未だにわかりません。


じつは、この話には、まだ続きがあります。


叩かれた生徒を立たせたまま、黒板を背にして「夏休みの心得」を吠えていた女性教師が、じりじりと間合いを詰めてきたのです。そして、振り向きざま、僕にウラ拳を放ってきました。




みんなに話しているフリをしながら狙っていたのです。素直に叩かれない僕に、正義の一撃を見舞う機会を、虎視眈々と狙っていたのです。あきらめたと見せかけて、油断させたところでの不意打ちでした。




僕はとっさに腕でアームブロックしましたが、この攻撃には、さすがにウェービングでかわすことは出来ませんでした。拳はわずかに僕の頬をかすめていきました。



僕は大人がこんなに卑怯な技を使ってくることに憤りました。そして、あらん限りの罵声をあびせ、教室を飛び出したのです。



今では考えられませんが、当時はそれが日常的だったのです。

教師が子供を叩く…

ある面では正しいのかも知れませんが、やはり暴力はいけませんよね。