散るろぐ

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わがままに生きる

僕の中の古い記憶と言えば、やはり恐怖でしょうか。3歳の僕にとって、世界は恐怖に満ちあふれていました。周りは自分よりカラダの大きな大人ばかり。彼らはたいてい優しく接してくれますが、ちょっと気が変われば、小さな僕などひとひねりです。僕がさっき砂場で押しつぶしたアリのように、大人は僕を簡単に押しつぶすことができるのです。

あやうい性格

僕は幼いころからわがままに育ってきました。それは、思い通りにならないとスネてしまうようなカジュアルなわがままではなく、もっと熱狂的にフリークスで、特殊なわがままでした。

それは、教育、環境、病気…、現代の科学力をもってすれば、いくらでも理由をつけてもらえたのかもしれません。

しかし、ジョジョの奇妙な冒険の主人公ディオが生まれついての悪人だったように、僕も生まれついてのわがままだった。そう考える方がしっくりとくるように感じています。

自爆すればいい

最近は大丈夫ですが、若い頃はよく街頭で職務質問をされていました。僕のどこかが彼らの心の琴線に触れたのでしょう。でも、僕の見た目はぜんぜん普通です。むしろ大人しい感じです。

彼らを職務質問に駆り立てる動機、というか基準は、不審な行動の教本、あるいは勘によっていると思います。突き詰めれば、反社会的な要素があるかどうかということなのでしょう。

それは、当たらずとも遠からずです。なぜなら僕の根底には、どうにもならなければ、自爆すればいいという思いがあるからです。それは、社会の秩序を尊重している方々にとって、到底、受け入れられない、行動であり思想であると思います。

戦国武将

花の慶次という漫画に、直江兼続という武将が登場します。兜に「愛」の1文字をあしらったお洒落な武将なのですが、あるとき兼続は、いくさに破れて窮地に立たされます。

大軍が攻めてきて砦に篭城するしかなくなってしまったのです。そこにはもうひとつ選択肢がありました。砦を放棄して生きのびるという選択肢です。でも直江兼続は逃げません。彼だけでなく、戦国武将はたいていその場で討ち死にするのです。

現代の価値観に照らし合わせると、負けが確定した戦で、生きのびる選択を放棄した戦国武将たちは、とてもわがままで、そして愚かでした。

死生観

人間には、さまざまな欲求があります。基本は生存、つまり生きることへの欲求が強くあると思います。死んでしまったらおしまいですからね。

でも、もしも、終わってもいいと思っていたとしたらどうでしょう。生きる価値などないと感じてしまったら…。僕の根底には、社会に合わせてうまく生きようという気持ちがこれぽっちもありません。

人の話を聞く、そして書物を読むことは、とても重要な事だと感じています。なぜなら、多くの知見や状況を知ることによって、周りの人々を自分も含めて理解することが出来るからです。

しかし、社会の秩序や規則を重んじる教育や言葉は、あくまで社会を軸にした考え方であり、逆の立場からみるとコントロールされているともいえます。

ゆえに、書物から知ることはあっても学ぶことはありません。そして僕は、誰もコントロールしたくないし、誰からもコントロールされたくないのです。

もしも自分の生き方を、誰かの言葉に頼らなければならないとしたら、それは本当に自分の人生を生きているのだろうか…そんなふうに思えてならないのです。

僕の恐怖の正体

僕は圧倒的な力をもった存在に恐怖していました。その対象は、幼いころは大人でした。また、子供のころは、狭いところに閉じ込められる夢をよく見ました。これも力による抑圧への恐怖の現れだったのかもしれません。

僕の恐怖は、成長とともに薄れていきましたが、生活の中には常に力が存在していました。それは、組織であったり、団体であったり、国であったりします。

僕の自分の人生を生きたいという欲望は、社会とは相容れない、わがままな望みなのかも知れません。しかし、僕はあえて戦いたい。

自爆という最終手段をもってしても、守りたい思い。それが僕のわがままなのです。

今週のお題「一番古い記憶」