散るろぐ

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お殿様になりたい

近ごろ、お殿様になりたい。

ちょっとまえは大統領になって、専用ジェット機(エアフォースワン)に乗りたかったけど、それよりお殿様がいいなと思いはじめた。イメージとしては天皇のようになりたい。

僕は、わりと親切だから誰にでも優しくて、これまでも大勢の人々へ善行をホドコシてきた。だけど、どうもみんなのリアクションが薄い。薄いというか感謝が小さい。どうかすると、こっちが親切にするのが当たり前、というような、不遜な態度までとる始末なんだ。

その経験から、どうやら人間という生き物は、同じホドコシでも、地位の高いものから受けると、それを過剰に喜ぶ傾向にあり、地位も低く権力もないと、いくら親切にしても、あんまり喜ばないってことなんだよ。

いつだったか、アメリカのエピソードで、とある大企業のドアマンが、社長に挨拶してもらってうれしい、彼はナイスガイだ、という話が、美談として紹介されていた。

あんなに地位の高い社長が、一介のドアマンである自分に、挨拶してくれた。ドアマンはそれに、おしっこを漏らすほど感動してしまう。

だけど、それは逆に、そのドアマンは地位の上下でモノゴトを判断しているとも言える。だから、もしも僕が、あいつ(ドアマン)に挨拶しても、きっと、疑いの眼差しを向けるか、どうかしたら無視するに違いない。

同じように挨拶したのに、一方は劇的に感謝されて、僕の方は知らんぷり。

そこで、なりたくなるのが、お殿様なんだ。

もしも僕がお殿様になったら、ドアマンにあいさつして熱烈に感謝されるし、横断歩道でお年寄りの手助けをしたらニュースになる。被災地に行って声をかけたら、泣いて感謝してもらえる。お年寄りの肩を抱いて「大変でしたね」と言えば、無条件に心を軽くしてあげられる。相手が女子高生だったら、抱きしめて、なんならキスしてあげたっていい。

それは過剰な親切かも知れないけど、つまりお殿様というのは、それほど感謝される存在であるってことなんだ。

だけど、残念ながら僕は、無名のいち市民に過ぎない。僕がアップルの創業者と同じように、振る舞っていても、1ミリも感謝されないし、喜ばれることもないんだ。そう考えたら、ボランティアや寄付なんて、馬鹿らしくてやってられなくなる。

貧すれば鈍するなんて言うけど、僕は熟考したうえで、あえて鈍している。貧には鈍がお似合いなんだ。

でも、富の側にまわったら、きっとみんなに優しくする。約束するよ。



今日考えたのは、そんなことです