散るろぐ

こころふるえる感情メディア

思いがけない「ふぁいとー」の声

きのう、台風がくる約束で、家の周りの鉢植えを移動したり、安全な場所へクルマを避難させたり、割りと入念な準備をしていた。

ところが、着実に近づいて来ていた台風は、僕の住んでいる地域の目前で、不意に首をかしげて、大きく東へ逸れてしまった。

急に予定のなくなった静かな日曜日。僕はパンを焼いて目玉焼きを作り、キウイを刻んだサラダを食べて、またベッドに横になった。

目が覚めると、3時を過ぎていて、テレビをつけたら、台風は四国から関西へ抜け、道中に大きな爪痕を残していた。

窓の外へ目を向けると、風はなく、雨も止んでいた。道路が少し濡れていた。空は曇っているけれど、雨の降る気配は無さそうで、僕は、短パンと襟つきのウェアに着換え、裸足でランニングシューズを履いて、表へ出た。

近所の公園で、跳んだりしゃがんだりしながら、軽く3周歩いて、それから走りはじめた。階段を下って、中学校の横を通って、いつもの山道へ。

その道は、僕の家から見ると、一旦沢へ下ってまた登ると言うような、往復1時間を要する、過酷な道中で、散歩がてらに歩けば2時間はかかる。

左手に山肌、右手に古い民家を見ながら、急な山道を登っていく。速度はゆっくりでも、決して立ち止まったり歩いたりしないぞ。そう誓って、荒い息をはきなが走る。途中50メートル続く階段を登りきると、からだが温まって、しっかり汗をかいていた。

道中、うちの庭とは比較にならない、立派な赤いサルスベリの木を見た。だけど、うちのサルスベリは、薄いピンクと白の混じった色合いで、品のよさでは引けをとっていない。

ふだんは干上がって、存在を気にも止めない側溝に、水が勢いよく流れていた。

登り坂ばかりの道を、30分かけて汗だくで走る。その行為は一見すると無意味にしか見えない。何気ない一日の小さな点でしかない。しかし、将来その点は、いくつもの点と複雑に結びつき、一本の線になる。僕らは、今この瞬間、点は繋がり線になると信じて、走り続けるしかない。スティーブ・ジョブズが、そう言っていた。

特徴的な屋根のある、神社の敷地を登ると、見晴らしの良い、ひらけた場所へたどり着いた。この先は所有者しか立ち入れないケモノ道だから、ここが頂上だと思って差し支えない。

帰り道は、来た道を延々と下るのみ。クールダウンも兼ねて、一石二鳥。ケガだけ気をつけて慎重に下っていく。

山道が終わり、なだらかな傾斜の長い直線を駆ける。登るときは引っ張られるような重みを感じた道も、下るときは簡単になる。人生の転落も、いざ落ちてしまえば、意外と楽で気持ち良いのかもしれない。

どうやら長かった道も、終わりを告げようとしている。この先にある、33段の階段を登ってしまえば、今日のランニングは終了になる。こんな無名の個人の長文に付き合ってくれた、読者のみんなには、感謝しかない。

かなり足にきてヨロヨロしながら、階段を登っていると、5歳くらいの女の子とすれ違った。うちの町内は、老人ばかりの町内だけど、週末になると娘や息子が孫を連れて帰ってくる。あの子もそんな孫のひとりだろう。

ただし、汗だくのおっさんが話しかけると、一気に犯罪色を帯びてしまう。僕は女の子を無視して走り続ける。あいさつすら怪しまれるこの世界では、接点を作らないことが、お互いの平和に繋がる。

すると、思いがけず「ふぁいと、ふぁいとー」の声。

僕がヒイヒイ言いながら階段を登っていたら、名も知らぬ5歳の少女が、ふぁいとーと、エールをくれたのだ。僕はその純度100パーセントのエールに、魂を撃ち抜かれてしまった。

しかし、繰り返すが僕らの住む世界は、子どもの純粋さを受け入れる余地はない。ひょっとしたら、僕は、辛そうに走る演技の得意な変質者かもしれない。そこで子供の純粋なココロは、大きなリスクでしかない。

僕は、あの少女の「ふぁいとー」に、どう応えるべきだったんだろう。ニヤっと笑ってサムズアップすればよかったんだろうか。まさか…。

けっきょく僕は、女の子を無視して走り去ってしまった。

「ふぁいとー」