散るろぐ

こころふるえる感情メディア

終わりなき仕事

東京へ旅したときに印象的だったのは、新宿の人の多さと交差点にあるマクドナルドでした。人口の密度はともかくとして、マクドナルドはどこにでもあります。それがどうして、僕の記憶に焼きついて離れないのでしょう。今日はそんなお話です。

雑踏の中心、絶えることのない人波のなかにマクドナルドは浮かんでいました。行列になるわけではないのですが、大勢の客がひっきりなしに出入りし、オーダーが次々ととられていました。僕もその列にならび、年配のクルーにハンバーガーとドリンクをオーダーしたのです。

はっきりとは覚えていませんが、僕はレシートの紙と引きかえにトレイを受け取り、二階への階段を登って隅のテーブル席につきました。店内は立錐の余地もないほど混雑していて、全面禁煙ですから不快なニオイはしませんが、そこはむせかえるようなポテトの香りと、数えきれない人々のため息が充満しているようでした。

僕らは、まるで養鶏場のブロイラーのように狭いゲージへからだを埋めて、上品にハンバーガーを食べていました。人々は密集していますが互いに無関心で、誰とも話しません。隣に座る人をこんなに遠くに感じたのは初めてです。

人々は各々の目的を持ち、この場所に集っているハズなのです。しかし、ここに座っていると、それはだれの意思でもなく、僕らは東京という街の細胞のひとつになって、シナプスを伝達する電気信号になってしまったようでした。

そしてふと思ったのです。ここは終わりのない世界なんだと。絶えることのないオーダーと、たぎるオイルへ投入される冷凍ポテト。その作業は延々と続き、いつ果てるともしれません。そこに終わりはないのです。

僕の仕事も同じです。ありきたりな販売ですが、毎日、同じように接客し、同じように販売して集計する。その繰り返しです。商品が減ったら補充して、また同じように並べます。

アパレルも同じでしょう。いくらノルマを達成してもキリがありません。ノルマの達成は、次のノルマの始まりでしかないのです。プログラマーは、いくつコードを書けばいいのでしょう。次々と生まれる不具合を治していくのは、流れるバンズにパテを挟んでいくのと、どれほどの違いがあるのでしょう。

僕が仕事で感じた、痛みや苦しみ、喜びや悲しみは、すべて幻なのかもしれません。それで命を落としたら、それこそ憐れなムダ死になのです。