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無修正とオープンになった性情報

近年、セクハラや痴漢といった性被害が増えている。一方で、日本人の二十代男性の約四割が童貞であり、また交際経験もないというようなデータもあり、性に対して興味があるのか無関心なのか、わけのわからない状態になっている。

どれだけ背丈が変わろうとも、男性が女性を欲する気持ちに変わりがないというのは、疑いようのない事実である。しかし、それがセクハラや痴漢というような犯罪行為に走ってしまうのは何故だろう。

そこで僕は、ひとつの仮説を立てた。それが無修正とオープンになった性情報なのだ。

周知のように、現在の日本では、街を歩けばコンビニと同じ手軽さで女性が売られている。しかしそこには、金銭や仲介人というハードルがあり、一定の歯止めは効いている。

一方、インターネットには、無修正の性動画がオープンな状態で氾濫している。これはスマートフォンを持つ人ならば、誰でも数秒でアクセスできる場所にあり、コンビニの成人向け雑誌コーナーとは比較にならない手軽さで閲覧することが可能だ。

それは成人男性のみならず、誤解を恐れずに言ってしまえば小学生でも簡単にアクセスできてしまう。つまり、情報としての性に対する興味は、ほぼ無料でなんのハードルもなく、すべてがさらけ出されている。

隠されているから価値のあった情報が、誰でも平等に閲覧できてしまうのは、男性にとって嬉しいと同時に、なぜか虚しい。

性情報が無差別にオープンになった現状を、時代についてとやかく言っても意味のないことだと思う。それは、音楽やゲームの著作権と同じく、シームレスにデータを相互に共有できるというインターネットに根源的に内包された罪であるからだ。

データに落としこまれた、たったひとつのコンテンツは、無限に複製されて、何千万、何億万の人々のもとへ旅立っていく。せつなげに喘ぐ声と、限界まで広げられた股間は、螺旋状のデータとなって無防備に公開されてゆく。

そして、希少性を喪失した性情報は、神秘性をも無くして、ただの選択肢のひとつになる。そこにはもう崇拝も尊厳もなく、見飽きたブラウザの風景に埋没して1ミリの価値すら存在しないのだ。

僕はそれが、痴漢やセクハラというような、犯罪行為へ人々を駆り立てているんじゃないかと思う。セクハラについても、これほど騒がれているのに、そのたぐいの事件が後を立たないのは、ある種の男性は女性に対して、どうせ金で売るんだろうという侮りがあるのではないだろうか。

僕らはもう、肉体的なものじゃなくより精神的な感覚として、結婚する意味も恋愛する意味も失っている。それは、男性の価値が下落したのではなく、インターネットによって女性の価値が暴落したからに他ならない。