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こんちは。ライターのチルドです。
僕はブログで時事ネタをほとんど扱っていない。話題性のあるネタは、どれも同じ記事の焼き増しに見えるし、いかにも狙ってる感があるから気恥ずかしいんだよ。
だけど、今回だけは気になってしょうがない。書かせてほしい。書かずにはいられないんだ。
それは「ラッスンゴレライ」について。
僕には、お笑いにコミットできるような知識はないけれど「8.6秒バズーカー」は大好きだった。「大好きだった」なんて、もう過去形になってしまってる。それは、例のデマのせいなんだ。
ラッスンゴレライの都市伝説(デマ)
- コンビ名「8.6秒バズーカー」の「8.6」は8月6日(広島の原爆投下日)を暗喩している
- 合いの手の「ちょっと待って」は米軍の爆撃機の名前
- ポーズが広島の原爆の子の像や長崎の平和記念像に似ている
- ラッスンゴレライは「落寸号令雷」と言う意味で、原爆を落とす号令を揶揄している
- ラッスンゴレライは、Lusting God laid light(神の裁きの光)に聞こえる
いろいろ言われてるけど、ぜんぶウソだよ。よくもこんなデマを考えつくと思う。
だけど1つだけ、頭にこびりついて離れない内容がある。きっと僕は呪いを受けてしまったんだ。この1フレーズに。
ラッスンゴレライ≒Lusting God laid light(神の光の裁き)
もう、恐ろしいとしか言いようがない。
「チョット待って」が爆撃機の名前だったとか、ポーズが銅像に似てるなんてのは、バカげてるって素直に否定できるんだよ。
ところが「Lusting God laid light」だけは別だ。なぜなら「ラッスンゴレライ」は意味を持っていなかったから。「ラッスンゴレライ」は、真っ白なキャンバスというか、音符みたいな「記号」だった。語感だけの意味のない記号であって、言葉じゃなかった。
でも、そこに「 Lusting God laid light 」という「意味」が乗せられてしまった。
ラッスンゴレライに魂が宿ってしまったんだ。消し去れない意味を与えられてしまったんだ。
「ラッスンゴレライ」は言葉であって言葉ではなかった。もしもラッスンが最初から意味を持っていたらこんな悲劇はおこらなかったと思う。
ナポレオンガール
古い話だけど、僕が学生のころに「ナポレオン」と呼ばれていた女子がいた。ちょっと変なあだ名だとは思っていたけど、みんなそう呼ぶから、僕もその女子を「ナポレン」とか「ナポっち」と呼んでいた。
それがある日、ふと気になって、ナポっちと小学校で一緒だった男子に聞いてみたんだよ。なんで彼女は「ナポレオン」なの?って。
するとそいつは、ちょっと口もとをゆがめてこう言ったんだ。「顔がナポレオンフィッシュに似てるからだ」って。
僕は、そいつの意地悪な笑いが気になって、放課後に近所の図書館へ行って「ナポレオンフィッシュ」をしらべてみた。
こんな魚だった。
つまり、彼女のナポレオンというあだ名は、彼女がブサイクって意味の蔑称だったんだ。僕はそれも知らず、無邪気に彼女をナポっちなんて呼んでいた…。
言葉と意味
ラッスンゴレライとナポレオンはまったく別の話だけど2つには共通点がある。それは、はじめに言葉があって、後から意味が加わったってところなんだ。
そしてイメージは一変してしまう。
意味のなかった記号に、とても暗い人の怨念みたいなモノが憑依してしまったんだ…。
僕はライターという仕事柄、一般人と比較すると言葉に対して極端に敏感なところがある。これはもう、持って生まれた感性だから、あきらめらめるしかない。
でも、大好きだった8.6秒バズーカーが、こんなふうに傷つけられてしまうなんて、ホントに悲しいよ。ラッスンゴレライに新しい意味を上書きできればいいんだけど、そもそも意味がなかったから、これはもうどうしようもないんだ。僕の中ではね…。
本当に悔しいよ。
インターネットでは、なんでも調べられる。だけど、そのすべてが正しい情報とは限らない。そして時には、なにかを簡単に傷つけてしまう。
僕たちは、そんな時代を生きているんだ。