散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

大人になるための試練

近ごろ、やっと大人になれた気がする。

なにを基準に「大人」と呼べるのか、その定義はいろいろだけど、僕としては、主観を排してモノゴトを判断できる力、それが大人になるってことなんだ。

たとえば、二人の女の子がいたとして、あの女の子は可愛いからウソをつかない。あっちの女の子はブサイクだからウソをつくに違いない。

そんな風にして、僕らは、見た目で人を判断してしまう。その人が誠実かどうかに容姿なんてぜんぜん関係ないのに。「可愛いは正義」というか、そうあって欲しいと願う気持ちが、正常な判断を狂わせてしまっているんだ。

つまり、そういう主観を排除して、ちゃんと見極められるのが、正しい大人の姿なんだよ。


ヤクルトを断った

僕が大人になったと実感したのは、意外にもヤクルトだった。

昔の職場には、毎週火曜日にヤクルトのお姉さんがやってきたのだけど、そのヤクルトの可愛いお姉さんのおかげで、冷蔵庫にはヤクルト400があふれかえっていた。

いや、そんなにヤクルト飲めない…、そう思った次の瞬間、僕はタフマンを手にしている。タフマンは飲めば元気になる栄養ドリンクのことで、つまり、タフマンを飲めばのむほどヤクルトが増える悪循環に陥っていた。

僕にはヤクルトが必要なわけじゃなく、ヤクルトのお姉さんが可愛かったから、トレードオフの関係でヤクルトを買ってしまっていたんだ。

それが、このごろバカバカしくなって、買わなくなった。つまり、邪(よこしま)な衝動に駆られなくなったんだよ。そして僕は、とうとうヤクルトを断ることができた。自分の意志のチカラで、その負の連鎖を断ち切ることができたんだ。

大人だ。


人は変われる

つまり、僕のアタマは、女の子が可愛いという、その一点における煩悩によって支配さ、毎回、判断を誤っていたんだ。

そう、僕はいつも間違えてきた。

可愛い女の子の、発言の矛盾であったり、思いやりの欠如であったり、そういう邪悪な部分を見極められなかった。人としての本質を捉えられなかった。

でも、近ごろは、必要のない買い物をしてしまったり、可愛くない子を、色メガネで見ることなく、正しい判断をできるようになった。若い女の子にも甘やかすことなく「ダメなものはダメ」とハッキリ言えるようになった。

けっきょく、正しさというのは、相手に求めるものではなく、自分を正すことにあるんだよ。それが、大人になるってことなんだ。

人は、何歳になっても変わることができる。

今後は、惑うことなく、正しい道を歩んでいきたい。