散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

女性専用車両について僕も考えてみた

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はてなブックマークに、女性専用車両の話題がまた流れてきた。今度は、明確な意図をもった数人の男性が、女性専用車両へ無理やり乗りこんで電車を止めたらしい。具体的には運行を12分遅らせた。たまたま乗り合わせた他の人たちは、とんだ迷惑を被ってしまったカタチになる。

そもそも、この3人の男性が、無理やり女性専用車両へ乗りこんだ目的というか、主張したいことは、女性専用車両の存在に不満を感じているからだろう。

その苛立ちの根っこはなんだろう?

女性専用車両の目的とは、女性を痴漢被害から守ることで、それならいっそ、車両を別にしてしまおうという合理的な判断である。トイレや更衣室を男女別にするのと同じ理屈で、こうしておけば、女性を覗き見たり、触ったりする不届き者を排除できる。

つまり、女性専用車両に異を唱えたい者は、女性用のスペースを否定したいのだろう。しかしそれは、あまりにもバカバカしい。

その証拠に、僕は痴漢をしたい。チャンスがあれば女の子のパンツを見たいし、お尻やおっぱいを思い切り揉んでみたい。だけど、そうしないのは、法律で禁止されているからではなく、女の子が嫌がるからだ。僕だって、見知らぬおっさんにケツを触られたら嫌だ。ただそれだけのことである。

この国の最高権力者である安倍総理ですら、稲田元防衛大臣のパンツを見ることはできないし、色を聞くことすら許されていない。この国の法は、それほど厳格であり、護るべきものとして尊重されている。

僕が理想とするのは、いつでもお尻を触り、いかなるときもおっぱいを揉める世界である。それさえ可能になれば、生きる希望は最大化される。自殺者も大幅に減少するに違いない。

つまり、なにが言いたいのかというと、女性専用車両の否定は、僕らの性的欲求の否定でもある。冷静に考えれば、パンツ見たくないとか、そんなんあるわけ無い。いつだってお尻を触りたいのだから、女性専用車両も当然ないといけない。理屈じゃなく、本能で認めなければならない。

それが女性専用車両の存在意義である。