散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

悲劇は起こりうる現実として

日本に生まれて良かった。そう思っていた時期が僕にもありました。

しかしそれは戦後の60年くらいの話で、その前は自爆至上主義の悲惨な戦争があり、またその前にはカジュアルに切腹していた時代もあったのです。そんな歴史に触れるたび、僕は安易に日本に生まれて良かった、と言うのが怖くなりました。そして、現代の日本の社会が本当に素晴らしいのかと自問してみると、必ずしもそうではないと思っています。

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自己責任と社会問題

日本に生まれて良かった怖さは、日本には社会問題が無い、あるいは限りなく少ないことを根拠にしているところです。しかし、虐待を受けている子供はいますし、犯罪はなくなりません。世の中は良い人ばかりではないのです。運悪く、そういう被害にあってしまった場合、それを自己責任とひとくくりに断じてしまうのは、想像力の欠如に他ならないでしょう。確率が低いだけでゼロではないのです。

先日、ドラッグストアへ買い物へ行き、シャンプーと白髪染めをカゴに入れ、レジで精算していたときのことです。僕の前には、数人の先客が並んでいましたが、レジ係の女の子がテキパキとバーコードを通して手際よく計算をしていたので、スグに行列は解消し、僕の順番になりました。

若いのに愛想がよく、ハキハキしたその女の子は、とても可愛く、たまにテレビでみかける人気の声優さんによく似ていました。しかし、次の瞬間、僕の甘い下心は、鉄球をガラスへ落としたように打ち砕かれたのです。なぜなら、その女の子の手首から上には、無数のリストカット跡がびっしりと刻まれていたからです。

シミひとつない、透明感のあるツヤツヤの白い肌と、うすくピンク色に盛り上がった大量の切り傷の対比に、僕はこの国の真実見たような気がしました。


安全であるがゆえに

日本では、セーフティーであることに、ある種の過剰な意識が働いています。しかしそれは一方で、人間の本能的な危機回避力をスポイルしていないでしょうか。そして、これだけ守られているのだから落ちたのは自己責任だ、と個人を責める材料にもなり得ます。

しかし、前述したように、人間は良い人ばかりではなく、確率が低いからゼロだと断言してよいものではありません。人は、とても脆く儚い存在なのです。事故に遭えば一瞬で失われてしまう肉体であり、運が悪ければ、抵抗する間もなく壊されてしまう内面でもあります。

僕らが考えなければならないのは、社会の安全性を高めることはもちろんですが、社会には多種多様な不運がある、という前提に立ち、すべての人々が等しく、いつ何時でも社会的支援を受けられる世の中ではないでしょうか。

自己責任や、日本に生まれて良かった、という考え方は、そういう不運を圧殺し、亡きものにしようという人間の傲慢さの極みです。とても恐ろしい考えです。どうか、みなさんも、不運は誰にでも起こるという前提のもと、元気のない人に接してください。それが未来につながる僕たちの役目なのです。