散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

再起動する勇気

国民健康保険や母子手当、生活保護のように、日本には、さまざまな社会保障が充実している。

僕も、わずかではあるけれど、ちゃんと税金を納めているから、この社会の一員として、その一助になっていると思うと、誇らしい気持ちになる。

一方で、もしも自分が生活保護を受ける立場になったら、一体どうなってしまうのだろう、という不安も付きまとう。

幸いなことに、僕は、健康なバカだから、生活保護を受けなければいけない状況になったことはないけれど、もしも若い頃、なんらかの理由で生活保護をもらってしまったら、そこから抜け出せるんだろうか。

僕の暮らしというか、生活欲求は、本質的に慎ましいもので、月々の生活費は、多く見積もっても8万円もあれば足りている。

一般的な生活保護費は、10万円くらいと聞くから、楽しく一ヶ月過ごしても、2万円は余る計算になる。ただし、生活保護費は、それを貯蓄にまわしたりできないから、けっきょくは何かに消費してしまう。そうやって、僕の暮らしは、生活保護によって成りたっていく。

穏やかな日々は、やがて僕の心を癒やして、再び起動できるだけのパワーとストレージを回復する。

だけど、僕は、なかなか再起動のスイッチを押せない。一旦、このスイッチを押してしまったら、生活保護は打ち切られ、また悪夢のような社会生活が始まってしまうからだ。

運良く、どこかに就職できたとしても、そこでやっていく勇気が出ない。僕の経験上、人間が集まって何かやっていると、必ず自分と合わない人間があらわれる。

はじめは、なんとか合わせられるかもしれないけれど、それも時間の問題で、やがてそのストレスに押しつぶされてしまう。

ただ、それは、僕が乗り越えればいい。

怖いのは、自分が嫌いだと思う人間は、向こうも僕を嫌っている可能性が高い、という現実なのだ。

馬が合わないと言ってしまえば、それまでなのだけど、どうしてもわかり合えない人間も存在する。それが人間社会なのだ。

そこで、恐ろしいのは、僕が生活保護を受けていた、という過去が、相手に知られてしまうことである。ヤツはその事実を掴んだら、絶対にそれで僕を攻撃してくるだろう。

「アイツは、生活保護を騙し盗っていたクズだ」と…。


僕は、本当に病気で、やむを得ずそんな状況に追い込まれたのに、なんて卑怯なんだ。明らかな誹謗中傷なのに、それを信じる人もいる。

次の日、会社へいくと、周りのみんなの様子がおかしい。昨日までは、ふつうに接してくれていたみんなが、なぜかよそよそしい。話しかけても、スッと目をそらして、無視されてしまう。

もう、この社会に僕の居場所はないんだろうか…。そんな思いが、頭の中をグルグルと巡り、足元がグニャグニャと不安定になり、崩れていくような錯覚に陥り、僕は立っていられなくなる。

生活保護から、再起動をかけようとするとき、いつもそんな不安に襲われる。そうやって、また倒れてしまったとき、僕はまた、生活保護を申請できるだろうか。

もしも申請が通らなかったら、もう僕を守ってくれるものはない。もっと慎重にならなければ。この権利を捨てる前に、もう一度、熟考する必要がある。


これは、あくまで仮定の話で、もしも僕が生活保護を受けていたら、という想像のハナシなのだけど、けっこう当たっている気がする。

夜、眠れなくて、明け方に疲れきってしまったとき、もう誰とも会いたくないと思う。