散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

ごめん、やっぱりブログ続行します

こんにちは。自分史上、最高の僕です。

紆余曲折、いろいろあったけど、ブログを続行したい。というか、もう、続行しているのに「今更なにを言っているんだ?」って思ってるよね…。わかる。わかるよ。本当に申しわけない。

なんというか、僕は、性格が屈折しているというか、日常生活も、ブログを読んでくれる読者に対しても、常識的に接するのが苦手なんだよ。

それに、人って追いこまれると、倫理観を守るのがむずかしくなる。3日3晩、飲まず食わずで、飢えてしまった子供が、商店の軒先のリンゴを、1玉盗んでしまうように、僕はブログを止めると言って、盗んでしまう。読者のみんなの、あたたかみや、優しみ、他者に対する慈しみ、というような善意を盗んでしまうんだ。

むしろ、そういったエモーショナルなところに、訴えかける振る舞いを、僕は意図せずにやってしまう。無意識にすがってしまうんだ。

それは、僕の幼少期に問題があって、一言でいえば愛情に飢えていた。僕は、お世辞にも扱いやすい子供ではなかったし、空気を察した振る舞いもできなくて、誰からも疎まれていた。勉強もまるでダメで、両親の期待に応えることもできなかった。

今なら、発達障害というような、適応できない僕を正当化してくれる、便利な盾があるけれど、あの頃そんなマジックは無くて、いつも傷だらけの日々を送っていた。そのやりきれない苛立ちから、ガラスを割ったり、ほうきに火をつけたりしてしまって、それは、さらに僕を追いこんで、問題児のレッテルをはられてしまった。


そんな鬱屈した毎日を送りながらも、僕は地道に学習していた。理由はわからないけれど、こんな場面でこんな行動や発言をすると、みんなから嫌われる…。それを、相手の顔色をうかがいながら、ひとつひとつ検証していったんだよ。そうすれば、自分はともかく、相手を不快にする心配はないから。

その試みは、どうにか上手くいって、この歳になって、なんとか、世間のみんなと、折り合いをつけて生きれるようになった。円滑なコミニュケーションのコツは、相手の想定する答えを、適切なタイミングで返すことなんだ。

その一方で、僕の努力でだれもが幸せになったと思っとき、ただ一人、幸せになれなかった存在に気がついた。いつも他人の顔色をうかがって、相手の望む答えを返すだけの、ポンコツ人工知能。それが、世間に抹殺された、本当の僕の姿だった。

自分が思ったことを、自然と話せずに、相手の望む答えに切り替えて話す。その積み重ねが、僕のアイデンティティを著しく損壊してしまったんだ。どんな薬にも副作用があるように、僕が自分自身に投与した、世間と折り合いをつけるという薬が、思いのほか劇薬で、からだの内側から僕を蝕んでいたんだよ。そして、僕の中に内在する、真実の僕が、この牢獄から出してくれ!と、頭蓋内硬膜をめちゃくちゃに叩きながら叫んでいたんだ。

そんなとき、インターネットで出会ったのが、ちきりんのブログだった。ちきりんは、僕の学習してきた社会的常識を、軽々と打ち破って、独自のロジックを展開していた。内容は、ちょっと難しくてわからなかったけど、その太鼓のような文章のリズムが心地よくて、いつも読んでいた。紫の半纏の背中には「そんじゃーね」の言葉が白抜きされていて、言いたいことだけ言って去る、その後ろ姿が、なんともカッコ良かった。



それから、僕もブログをはじめたんだ。ブログでは、他人の顔色を伺わずに自由に発言していい。素直なままの、自分史上最高の僕でいい。それを教えてくれたのが、伊賀泰代さんなんだ。もっとも、彼女は、日興証券からMBAになってマッキンゼーにいた才女だから、僕なんて足下にも及ばないのだけど、常識に囚われることなく発想していい、という自由を教えてくれた。

ちょっと長くなってしまったけど、だいたいそんなところ。

まとめると、ブログは自由であっていい。みんなが左へ行っても、右へ進んでいい。社会的地位もあって、成功してお金持ちの人の意見に従わなくていい。ブログには、自分では白だと思っているのに、みんなが黒と言えば「黒だよね」とウソをつく、情けない僕はいないんだ。

近ごろは、インターネットが社会寄りになってしまって、そんなブログも少なくなってしまったけど、僕は今まで通り、古き良き時代のブログであり続けたい。