散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

新聞とかいうの

今朝、会社へ車で向かっている途中、自転車とぶつかりそうになった。朝の早い時間で、霧のような小雨が降っていたから、あとちょっと気付くのが遅かったら、僕の人生がお終いになるところだった。

自転車に乗っていたのは、近所のお婆ちゃんで、もうずっと前から新聞配達をしている。毎朝、黄色いカッパを着て、カラダの三倍近くある大きな自転車に、新聞を山と積んで走っている。

むかしは、もっとスイスイ走っていたけれど、あれからなん十年経ったんだろう。今日は、下り坂の曲がり角を曲がりきれずに、車道の方へヨロヨロと大きくはみだしてきた。ちいさなカラダで自転車をこぐ、新聞配達のお婆ちゃん。雨の日も、雪の日も、毎日配り続けてきた彼女の人生は、どんなだったんだろう。

そもそも、インターネットの普及した今の時代に、紙の新聞を配る意味ってあるのかな。情報を受けとる手段はいくらでもあるのに、なんで高額な月額料金を払ってまで、新聞を買ってしまうのかな。

それはおそらく、未だにインターネットを使えなかったり、時代の変化についていけなかったりする、情報弱者がいるからなんだ。弱い者は搾取される。それが資本主義の理(ことわり)なんだ。

お婆ちゃんが、真っ暗な道で転倒したり、車にはねられたり、そんな危険を冒してまで、凍える冬の朝に自転車を押さなきゃならない。

あえて断言すると、新聞にそんな価値はない。

たとえお婆ちゃんにお金が必要だったとして、その仕事を提供していたのだとしても、それは良くできたスキームで、本質的には、資本家だけが利を得る搾取の構図なんだ。

ペラペラの紙面にあふれかえる広告。
言語を弄して煽り続けた世論。

煽り運転の罰則が強化されたように、情報の煽り操作にも、重い罰則が課されるべきなんだ。僕は、煽りをゆるさない。お婆ちゃんをお金で操って、暗く危険な夜道を、自転車で走らせたくないんだ。