散るろぐ

ここが僕のアナザースカイ

思考のミニマリズム

さっき気がついたんだけど、僕たちの住む世界は、本当に良くできたウソでできている。

働いた価値は、都合よく金貨で薄められ、笛吹きはみんなを笑顔にして、自分の利益を最大化している。そんな欺瞞に気づいた人々は、モノを捨て本当に必要なモノだけで生活しはじめている。

それを人はミニマリストと名づけた。

いっぽうで、僕は、彼らがミニマリストになるずっとまえから、ミニマリストだった。

僕のミニマリズムは、世間に影響されたり、だれかに与えられたものじゃなく、誰にも縛られたくないという自由から生まれた。

もしもみんなが、僕の言葉にリズムや風を感じているとしたら、それは僕が本当の意味で自由だからなんだ。

ところで、自由について語るとき、人はなにをイメージするのかな。

働かなくてもいいほどの遺産?

いつでも旅に出られる?

ニューヨークで刺激的な体験をする?

好きな人と結婚できる?

残念だけど、それはぜんぶ自由じゃない。

どれもが自由という名に隠された欲望なんだ。欲望を叶えることを自由と呼び替えているだけ。

実は、欲望と自由はまったく逆で、欲望を叶えようとすれば、何かに束縛されるんだ。

つまり、人は誰しも欲望の奴隷でしかない。

僕は、そんな欲望がないから平気。

何者にも縛られない。


世の中には、たとえば、戦争、紛争、ストリートチルドレン、麻薬、テロ、殺人、銃の乱射、放火、自動車事故、児童虐待、オレオレ詐欺と、数えきれないほど悲惨で、残虐な事件が日々おこっている。

そこで僕は、そんな悲劇を繰り返さないために、僕に何ができるだろうって、ずっと考えてきた。

その答えが、最近になってようやく見えてきた。

結論から言うと、僕には、なんにも解決できなかった。僕という個体は、人類のわずかな一滴で、ただ涙を流すだけだった。

だからもう、僕は見ないことにした。

いや、正確には、目に入っても無視することにしたんだ。

問題意識だとか、共感だとか、役に立たない考えや、他人事の感傷なんかを、持たないようにする。

それを僕は思考のミニマリズムと名付けたい。

いま「それは思考停止というんだ」って思った?

違うよ。

思考のミニマリズムは思考停止じゃない。思考停止は、むしろ積極的に絡んでいくスタンスなんだ。ある事象に対して考えずに結論づける。

それが思考停止。

僕の「思考のミニマリズム」は、もう踏みこまない。なにがあっても動かない。

草木が育ち、やがて枯れるように、悲しい出来事も人間界における必然であり、自然なんだと、受け入れること。

先にあげた、悲惨な事件・事故の数々も、あまたの欲望が引きおこした、自然の摂理の一部だとして、静かに見つめ、そして心の深いところに留める。

それは、幾層にも折り重なっていつか溢れてしまうかもしれないけど、そうやって人は死ぬべきだと思う。

無責任って思うかもしれないけど、欲望から悪事を働こうと企む人間をどうやって止めればいいのさ。精神的に狂ってしまって暴走する電気信号を誰が治せるというのさ。

僕はもう、むやみに褒め称えたり、逆に批判や不快感の意思表示をしない。ただ、現実を受け止めタンタンと生きるのみなんだ。